繰り返される『原子力帝国』現象 | 2013/5/25 | |||||
番号 | 『原子力帝国』 | 日本のできごと | ||||
ページ | 時期 | 内容 | 時期 | 内容 | 出典 | |
1 | 26 | 〜1977 | ラ・アーグの核燃料サイクル工場で、故障はしょっちゅうあるが隠されている。 | 〜現在 | 六カ所村再処理工場、もんじゅ、柏崎刈羽、福島I、福島II、その他。 | 佐藤栄佐久『知事抹殺』他 |
2 | 30 | 1977 | 高放射性酸化物工場の運転停止 | 〜現在 | 六ケ所村の停止 | |
3 | 32 | 重装備で、作業時間が数分と限られてホットゾーンへ入る | 〜現在 | 各原発 | ||
4 | 33 | 1977 | 米、インディアンポイントの蒸気発生器の破損パイプ取替のために、1800人の作業員が投入された。 | |||
5 | 33 | 1977 | ラ・アーグ周辺では施設労働者斡旋請負人が雨後のたけのこのようにはびこって、ルンペン・プロレタリアートを斡旋している。 | 〜現在 | 寿町・釜ヶ崎・山谷から暴力団が人入れ稼業を請け負っている。被爆労働者のトレースができない。 | 日経、2011/9/19「原発作業員、続く所在不明、被爆検査65人受けず」他 |
6 | 36 | 〜1977 | 作業員たちは放射線防護官の目を盗んで、保護具を外し、喫煙したりする。抑圧的隷属に対する自殺的反抗。 | |||
7 | 39 | 1976 | ラ・アーグで3ヶ月のストライキ。 | 1968 | 原研労組がストライキを行い、原研はロックアウトを行った。 その後、原研は改組されて動燃になった。 |
舘野淳『シビアアクシデントの脅威』P.74 |
8 | 44 | 1977 | ラ・アーグで故障が続発し、4週間の間に故障が起こらなかった日は1日だけであった。故障が起こるとその都度除染に手間取った。 | |||
9 | 51 | ラ・アーグで地元住民の間で、推進派と反対派の対立がひどくなり、重装備の機動隊員250名が建設現場を警備する。 | ||||
10 | 66 | 1965 | リフトンとバーナーが、広島の被爆者が深層心理の中で深く傷ついていることを明らかにした。その後、バーナーは失踪する。 | |||
11 | 80 | ラスムッセンは原子炉研究の専門家でなく、原子力産業の別の部門の鑑定人として働いていた。そういう経歴は伏せられて、指導者に任命された。 | 〜現在 | 様々な第三者的有識者として任命される審議会委員たちの利益相反の諸事例 | ||
12 | 92 | 1966 | 中性子照射劣化が発見された。その対策に、スリーブをかぶせるような、姑息な手段を取った。 | 1912 | 福島以後のシビアアクシデント対策はいずれも後付けの姑息な手段である。 | |
13 | 98 | 1975 | グントレムミンゲン原発の弁のパッキング箱を修理しようとした作業員ふたりは、吹き出した285℃の蒸気を浴びて死亡した。当局者は「作業手順を守らなかったため」と報告書を書いたが、そもそもその手順書が守りにくい非現実的なものであった。 | 2004 | 美浜原発3号炉で、蒸気噴出事故。5人死亡・6人が重火傷。 | 『原子力市民年鑑2010』P.127 |
14 | 106 | 1975 | 西ドイツの原発労働者は、国家的監視機関によるイデオロギー的調査を受けている。 | |||
15 | 113 | 西ドイツでは浮浪者収容所の住人さえ、アメリカでは仕事のない黒人が、放射線被曝労働に雇われる。「熱い」プルトニウム隔室へ入るものは、一般市民の被ばく線量の10倍に耐えなければならない。 | ||||
16 | 116 | 1977 | ザルツブルグの「国際原子力会議」は「原子力と世論」というテーマで開かれ、二つの重要な会議は一般市民を締め出し、カービン銃で武装した警官に警備されていた。 | 2012 | 近藤駿介原子力委員会委員長が、核燃料サイクル政策を電力会社との非公表の作業会でまとめた。 | 朝日、2012年6月29日 |
17 | 126 | 1977 | 西ドイツの原子力技術学会によって、平均的な人間の命に実際何ドルの価値があるのか、そのような命のどれくらいが原子力経済のために犠牲にされうるのか、を明らかにしようとしている。 | 〜現在 | 現在の放出限界限度は、このような計算に基づいて算出されている。 | |
18 | 131 | 1977 | バルブの検査官フォッケが、欠陥バルブの検査証明書にサインするのを断ったら、彼の車が事故を起こすように細工された。 | 〜現在 | 藤原節男氏(JNES検査員)が、泊原発検査に立会い、失敗例を記録に残そうとしたら、雇用を打ち切られた。 | 藤原節男『原発ドンキホーテ』 |
19 | 133 | 1974 | カレン・シルクウッド事件 | 1996 | 旧動燃の西村成生氏が都内のホテルで変死体となって発見された。 | 週刊朝日、2013/3/15〜4/19 |
20 | 139 | 1976 | 原子炉技師ロバート・ポラードがインディアン・ポイント2号機の危険性についてテレビ番組で語った。また、NRCへ手紙を書いた。 | |||
21 | 148 | 西ドイツの原子力企業が、従業員に対して、「高速増殖炉」推進の署名活動を強制し、H.W.クラウゼが「思想調査ではないか」という疑問を表明した。 | 〜現在 | 地方公共団体の公聴会で、いつも電力会社のやらせ発言が圧倒する。 | 玄海原発やらせメールは、日経、2011/7/7 内橋克人『日本の原発、どこで間違えたのか』P.187 |
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22 | 159 | 1965 | カルルスルーエ原子力研究センターが、アルゼンチン・南アフリカ・ブラジルといった、全体主義的統治体制の国と協力関係にある。 | 〜現在 | 日本はアメリカの核政策のコントロール下にある。 | 苫米地英人『原発洗脳』 |
23 | 196 | 1973 | 原爆の指導者であったセオドア・テーラーが「核泥棒-危険と警戒」という論文を書いた。3〜10kgのプルトニウムが盗まれれば原爆ができる、という内容。以降、国内の敵に対する警察と軍隊の機動化が盛んになる。 | 〜現在 | 日本でもテロ対策が本格化しつつある。 警察が専門部隊を構成する。自衛隊も? |
「テロ防止 内通者対策カギ」日経、2013/5/12 |
24 | 218 | 1977 | スイスで反原発デモに参加した22歳のアンナ・Rが警察に拘留され、精神病院に入れられて、電気ショックを与えられる。 | 〜現在 | 警察のデモに対する過剰警備。多辺田政弘氏の拘留。テント村B氏の10日間の拘留。 | たんぽぽ舎通信 日隅一雄『主権者は誰か』 |
25 | 232 | 1975 | NRCの提起によって「核防衛策の強化が市民的自由に及ぼす影響についての会議」が行われ、プルトニウムは「諸官庁における既存の監視策」に対する「最初の妥当な正当化」を与えるものであるとの結論に至った。 | |||
26 | 248 | 「硬直した道」が「柔軟な道」を破壊する。 | 〜現在 | 硬直した政治家が人気を博している。 | ||
出典: | 佐藤栄佐久『知事抹殺』 | |||||
舘野淳『シビアアクシデントの脅威』東洋書店、2012年 | ||||||
原子力資料情報室『原子力市民年鑑』七ツ森書館 | ||||||
内橋克人『日本の原発、どこで間違えたのか』朝日新聞出版、2011年 | ||||||
苫米地英人『原発洗脳』日本文芸社、2013年 | ||||||
藤原節男『原発ドンキホーテ』ぜんにち出版、2012年 | ||||||
日隅一雄『主権者は誰か』岩波ブックレット、2013年 |